みなさんお元気ですか?すこし間があきましたが今日は竹林がブログを書いてみます。
そもそもTENTOの始まりはとある塾で草野とわたくしが出会ったことがきっかけなわけですが、今回はその塾の思い出話を聞いてください。

そこは中学受験塾でした。中学受験というのはとても特殊な世界で、誰でも頑張って勉強すれば合格するというものではありません。なぜかというと、名だたる有名中学は誰も見たことのないような変わった試験問題を毎年出題するからです。
そういう試験問題には反復練習によって知識を詰め込むような学習方法では太刀打ち出来ません。
ではこれに塾はどうやって対策をするかというと、ありていに言えば選抜です。ミニテストによって優秀な子どもを選び出し、彼らに特別な教育を施すわけです。ですから中学受験塾では子どもたちの成績別クラス分けが峻厳に行われることになります。

そんなわけで、私達が働いていた塾も、小学生を毎月のテストで選別して20ものクラスに分けていました。当初わたしの担当は中くらいかやや下あたりのクラスでした。そのクラスには中間層特有のほのぼのとした雰囲気があってのんびり授業をしておりました。

あるとき、トップのコースを担当している先生が急病で私が代講をすることになりました。馴染みのない子どもを教える代講はただでさえ気が重いものです。しかもトップのとびきり優秀な子どもたち。急病なので準備の時間もありません。

そうこうして不安な気持ちで教室に入るなり、子どもたちが発した言葉が、タイトルの「先生の知ってること全部黒板に書いてよ!」です。

試合開始からカウンターを食らった気分です。子どもたちは私の知識量を調べて実力を試そうとしているのです!これには面食らいました。下のクラスの先生をなめているわけです。なんて生意気な子どもたちなんだろうと。
それでもその場はなんとかごまかして、授業をふつうに始めようとすると、しかし、子どもたちはまた同じことを言います。
「とにかく知っていること全部書いて!」。
よく見ると彼らの顔は真剣です。わたしを馬鹿にしているふうではありません。ここで私は気づきました。こいつら本気だ!と。彼らはほんとうに私が持っている消化液についての知識を全部得ようとしているのです。(そのときは理科の人体の授業でした)たぶん、説明なんてしてもらえなくても板書を読めば理解できるし、おぼえられる、というのが彼らの自負なんでしょう。そういう意味では、わたしを馬鹿にしていたわけではなかったのです。たんじゅんに効率よく知識を得たい、と思ったのでしょう。

しかし、すこしは納得したものの、授業が終わっても私の中には気持ちの悪い違和感が残りました。彼らがわたしを馬鹿にしてなかったことはわかった。でも、なにかひっかかります。どこかがおかしいのです。いったいこの違和感はなんだろう?

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経験を積んだ今は、この違和感の正体を言い当てることができます。それは、その子どもたちの学習に対する受身の姿勢です。彼らは、積極的に知識を求めようとするものの、その知識の中身には興味がありませんでした。与えられたものを素直に、そのまま吸収するだけです。そこでは、なぜ自分がこれを学習しなければならないのか、という問いが欠けています。
「知っていることを全部書く」前に講師が行わなければならないのは実はそこです。
講師は、導入部分で、「なぜ今日の内容を教えるのか」「今日の内容は今まで習ったものとどういう関係があるのか」を説明します。子どもたちはそれを聞くことで自分の学習の過程を理解し、自分の興味や身近なものごとと学習を関連付けていくことができます。
ナビゲーションばかりに頼って運転すると何時まで経っても道路を覚えられないのと同じで、教師の与えるものをコンテクスト無しで吸収する学習だけではいざ自分で現実と対処するときに役立たないのではないでしょうか?
トップの生徒たちは、その部分をすっ飛ばすことで一見効率よく学んでいたわけです。
彼らは、トップ中のトップ、たぶんその半分くらいは東大にストレートで合格するような子どもたちでした。そんな子どもたちなのに、というべきか、もしかしたらそんな子どもたちだからなのでしょうか・・・。

そんなわけでわたしは、いまTENTOの子どもたちに「つまんねー」とか「あきた」とか言われると(ちょっぴり)うれしいのです。彼らはちゃんと、自分の意志で学ぼうとしています。自分の興味に則って、自分の置かれたコンテクストの中で作ったりおぼえたりするものを決めていきます。それって、たぶん大事なことですよね?